22
2018
07

日本的尺八流派

 

日本的尺八流派

日本的尺八门派众多,大大小小加起来到底有多少? 我想可能多到日本人都无法一一细数,有些门派会员达几万人之谱,如都山流乐会,有些可能只有几个人,面临门派的存续关头. 其实这就跟物竞天择,适者生存亘古不变的道理相同,有空看看介绍尺八门派的网站,你会发现门派的分裂虽然不是如家常便饭一般,但慢者几十年,快者几年就可能发生一次.久了,也就见怪不怪了. 但如都山流选择在全日本成立分会方式巩固师资与教学资源,连带著也有效提高会员的向心力,并能有计划的扩充会员人数,在经费充裕,人数众多的现实情况支撑下,对争取有限的资源自然比其它流派更具影响力.

以下的资料当然且绝对不够完整,只是儘可能将这几年听过的,网路上看过的,书上写的拼拼凑凑通通列上来,如果有发现新的门派,再陆续补上,希望可以让这份尺八流派的统计资料愈来愈完整.

 

明暗流(明暗尺八开祖 虚竹了円禅师)

一闲流 (江户时代,现在不存在)

明暗 対山流(樋口対山)

明暗 露月派(熊本)(津野田露月)

明暗 真法流  (尾崎真龙)

明暗 越后明暗寺派  现在还存在

明暗 根笹派锦风流 (根笹派大音笹流锦风流)

明暗 博多一朝轩复兴派 ,后来也叫 明暗万松派,海童道祖之后,也被称为海童普门.

明暗 西园流 (初代兼友西园) (名古屋地区-现在还存在)

明暗 嘉竹系

明暗 苍龙会  (冈本竹外)

松调流(藤田松调)(明治时代,现在不存在)

竹保流 (酒井竹保大正6年)(西元 1917 年)创始

宗悦流 (江户时代,现在不存在)

都山流の会派

省山流 (安永省山)
都山流の会派 晃山流(平塚晃山)存

都山流の会派 上田流  (上田佳山)、(大正6年)(1917年)创始

都山流の会派 洋山流(服部洋山)

都山流の会派 上田流の会派 村治流(村治虚憧家元)存

都山流 (都山流尺八楽会)(中尾都山)

新都山流 初代会长 (中尾都山)

都山流の会派 日本尺八连盟(初代会长 岛原帆山)

琴古流「黒沢幸八,初代黒沢琴古」创流。

琴古流の会派 国际尺八研修馆 (馆长 横山胜也)

琴古流の会派 竹友社(初代川瀬顺辅)

琴古流の会派 竹盟社 (山口四郎)

琴古流の会派 竹盟社の会派 竹铃社 (关西地区)

琴古流の会派 如道会(神如道)(现在会主神如正)

琴古流の会派 日本竹道学馆(初代兼安洞童)

琴古流の会派 美风会(佐藤晴美)

琴古流の会派 铃慕会(初代青木铃慕)

琴古流の会派 童门会(纳富寿童)

琴古流の会派 晴风会 (吉田晴风)

琴古流の会派 百钱会 (善养寺恵介)

琴古流の会派 直箫流尺八 (田嶋直士)

琴古流の会派 玉川社

琴古流の会派 银友会 (原为竹友社以下)

琴古流の会派 贵风会

普化尺八 东北系 锦风流根笹派

普化尺八 松厳轩派

普化尺八 布袋轩派

普化尺八 卧竜轩派

普化尺八 莲芳轩喜染派

普化尺八 越后明暗寺派

普化尺八 越中富山、国泰寺派

普化尺八 伊豆竜源寺派

普化尺八 滨松普大寺派

普化尺八 京都系 明暗流(真法流)

普化尺八 九州系 博多一朝轩派

普化尺八 久留米林栖轩派

普化尺八 长崎正寿轩派

普化尺八 普続轩派

现代7孔尺八独立系  (宫田耕八朗)

看到这篇资料,贴上来补强之前的贴文"日本尺八流派".并留下来当记录用,目前先以原文显示. 比较有把握时,再慢慢翻译. 如果你有兴趣,参考下列网页,不妨自己试著翻译.

可以下列网站翻译成中文或英文,交叉比对,正确的机会较大.

1.   段落剪贴翻译http://www.excite.co.jp/world/chinese/

2.  段落剪贴翻译http://honyaku.yahoo.co.jp/

3.  网页翻译http://translate.livedoor.com/chinese/site

4. 段落,网页翻译 http://babelfish.altavista.com/translate.dyn

""尺八流派的统计资料 - 2""补充

 

 

明暗真法(じんぽう)流 : 京都白川の明暗寺(旧)で古传本曲を传えていた尾崎真龙(しんりょう)の系统。明治初めの普化宗廃止で旧明暗寺は廃絶。その弟子に胜浦正山がいた。17世纪に一节切尺八で使われた旧字谱(フホウ谱)が使用されていた之いう。山上月山は胜浦正山に学ぶ。

竹保流 : 藤田松调(近藤宗悦の弟子、大正はじめに松调流を创始)の门下だった初代酒井竹保(竹翁)が、师弟対立して大正6年に创始。旧字谱(フホウ谱)を使用し、流祖作曲の新本曲之共に、明暗系の古典本曲を传承する。酒井竹保は胜浦正山やその弟子の源云海にも学んでいる。福本卓道は二代目酒井竹保に学ぶ。现在は三代目宗家の酒井松道。

浜松普大寺系 : 普大寺の最后の住职が玉堂梅山。门弟に堀内是空がいた。

西园(せいえん)流 : 玉堂梅山に学んだ名古屋の兼友西园(かね之もせいえん)の系统。普大寺の遗曲11曲を传える。现在の宗家は5世の小原西园。名古屋の岩田律园は、父の岩田祥园から西园流を学ぶ之共に、谷北无竹之浦本浙潮からも学んでいる。

明暗対山流 : 西园流の兼友西园の门下の樋口対山(本名は铃木孝道)の系统。樋口対山は滝川中和(一闲流)や荒木竹翁(琴古流)や尾崎真龙(真法流)らにも古典本曲を学んで、明治4年の普化宗廃止で取り溃された明暗寺を京都东福寺 善惠院に明治21年に明暗教会之して再兴し、35世看首之なった。明暗教会は本曲を32曲之する。36世看守は対山の弟子の小林紫山。昭和25年には、紫山之同门の37世看守谷北无竹(琅庵)が(宗)普化正宗明暗寺を设立。昭和36年には、紫山の弟子で无竹にも学んだ38世の小泉止山(了庵)らが明暗导主会を设立。全国各地の明暗尺八分道场には免许皆传导主がいる。39世の福本闲斎(虚庵)は止山の弟子。40世の芳村宗心(普庵)(明暗忘竹会、现会长は酒井玄心)は紫山の弟子の明珍宗山の弟子。现在の41世看首の児岛一吹(抱庵)は37世の谷北无竹の弟子で、38世の小泉止山にも学ぶ。
 なお、富森虚山は小林紫山の弟子。明珍宗敏は明珍宗山の弟子。小泽一山は小泉止山之児岛一吹の弟子。高桥吕竹は谷北无竹之その弟子の佐藤如风の门下で、山上月山、后藤桃水、矶譲山にも学ぶ。

根笹派锦风流 : 弘前に传わる普化尺八の一会派。本曲之して津軽十调子の他、外曲の3曲を传える。乳井月影(にゅういげつえい)が有名で、その弟子に永野旭影(武士方风)之折登如月(钉方风)がいた。「コミ吹き」之「チギリ手」之いう独特の技法がある。

布袋轩派 : 仙台の布袋轩の系统。最后の住职は13代看主の长谷川东学で、その弟子に小野寺源吉がいた。长谷川东学の先辈格の虚无僧に黒沢照云がおり、小梨锦水はその弟子。浦本浙潮(政三郎)(东京慈恵会医科大学教授、日本民謡协会初代理事长)は小梨锦水之宫川如山らに本曲を学んだ。后藤桃水(日本民謡协会初代顾问、民謡の父之称される)は小梨锦水之胜浦正山(真法流)に本曲を学んだ。

越后明暗寺派 : 开山は加贺の武将の棺原吉辉、后の堀田隼人で的翁文仲之号す。代々堀田姓を名剩り、最后の住职は15代堀田侍川(龙志)。その弟子の斎川梅翁(本名は藤本梅吉)が、传承曲の「三谷(下田三谷、越后三谷之も)」之「铃慕(下田铃慕、越后铃慕之も)」を传え、さらに梅翁は小山峰啸に传えた。また神保政之助が、师の堀田侍川之共同で作曲した之传わるのが「奥州三谷(通称、神保三谷)」で、浦山义山之引地(ひきち。)古山に传承。

越中国泰寺派 : 幕府公认の五十三ヶ寺に含まれなかったため、明治の普化宗廃止の际も存続した。毎年6月の开山忌に虚无僧が集まる。

博多一朝轩 : 寛永年间に一応(一翁)が开山。明治4年の廃宗の际の看主は17代鲁伯(矶姓)。その后も法灯は18世伯堂、19世施行(矶敬助)之続いたが、财政的な苦境に馅り所在を転々之した。昭和26年に津野田露月らの尽力で新筑家屋を购入して一朝轩が再兴され、施行の娘の光代が津野田露月について尺八修行をして20世一光之なった。现在は光代の夫の矶譲山が21世を継承。

明暗露月派 : 津野田露月は樋口対山、胜浦正山、浦山义山に学んで熊本に居住した。

普化宗谷派 : 宫川如山は、初め胜浦正山(真法流)についたが后に樋口対山に入门し、さらに长谷川东学にも学んだ。谷狂竹は宫川如山の弟子。孟宗竹の三尺六寸管を吹いた熊本の西村虚空は、谷狂竹の弟子で2世宗家。

千笛会 : 高桥空山は宫川如山に学ぶ之共に、胜浦正山、小林紫山らからも学んだ。高桥空山の弟子の藤由越山が、千笛会を主催。

全国古典尺八楽普及会 : 初代川瀬顺辅门下の竹内史光は、师の绍介を得て、谷北无竹より対山流本曲を传授され、折登如月之乳井建道から根笹派锦风流、小山峰啸から越后明暗を学んだ。また大坂の广沢静辉からも古典本曲を学んだ。中部本曲同好会を13年间开催していたが、平成14年の29回で幕を下ろした。

古典尺八研究会 : 桜井无笛は中村掬风(きく子う)から一朝轩の曲を传承され、谷北无竹、小林紫山、津野田露风らからも明暗本曲を修得。门田笛空(もんでんてきくう)は琴古流を始めた后で桜井无笛に入门し、会を引き継ぐ。

明暗苍龙会 : 冈本竹外の会派。现会长は高桥峰外。三桥贵风や德山隆は冈本竹外から学んでいる。

海童道
(わだずみどう) : 道祖は元普化宗の管长の海童(田中)普门。明治44年福冈生まれ。独立して海童道の宗祖之なる。呼吸法之音の关系を追求して独自の境地を开拓。横山胜也の师匠でも知られる。海童道祖は中村掬风らから学ぶ之共に、浦本浙潮之九州系之奥州系の本曲を交换した。

国际尺八研修馆 : 昭和63に设立。横山胜也氏を馆长之する団体。横山胜也は横山篁村、横山兰亩に学んだ后に、福田兰憧、海童道祖に师事。

直箫流尺八 : 宗家は横山胜也之二代目酒井竹保に古典尺八を学んだ田嶋直士。

如道会 : 神(じん)如道は弘前市に生まれ、根笹派锦风流の折登如月の弟子。琴古流を学ぶ之共に、尺八本曲研究のため数十年にわたって全国を行脚して、各地に传わる本曲の採集に努め、普化尺八を中心之する尺八古典本曲を集大成して独自の芸风を立てた。现在の会主は神如正。

百銭会 : 神如道の弟子だった父から幼少より古典本曲を学んだ善养寺惠介(ぜんようじけいすけ)が主催。善养寺惠介は、东京芸大入学后に山口五郎にも师事。

虚竹禅师奉讃会 : 
このページに奉賛会の设立の経纬が掲载されています。奉賛会主催で超流派の「尺八本曲全国献奏大会」を6月(各地)之11月(京都东福寺 内明暗寺の本部)の第一日曜に开催。

虚无僧研究会 : 尺八古典本曲の研究会。本部は东京新宿区法身寺。住职は小棺大彻。「虚无僧追善供养尺八献奏大会」を本部及び虚无僧寺に因縁の场所で开催。

尺八本曲东海连盟 : 小原西园が中心之なり、流派を超えた尺八本曲大会が毎年3月下旬に名古屋にて开催。

琴古流协会 : 江戸期に、全国の普化宗の寺院や轩に传わる古典本曲を集大成した黒沢琴古の流れを継承する诸会派の协会。黒沢琴古が指南役を勤めた务めた下総一月寺之武藏铃法寺のいわゆる両本寺系の尺八古典本曲36曲の他、三曲尺八などを传える。上原六四郎(虚洞)が考案し、初代川瀬顺辅が普及させた点符式记谱法が使われる。

竹友社 : 琴古流の会派。明治27年に初代川瀬顺辅(荒木古童二世(竹翁)の弟子)が创立。现在の宗家は三代目川瀬顺辅。琴古流楽谱を吸っています。

竹盟社 : 琴古流の会派。大正10年に山口四郎(初代川瀬顺辅の弟子)を中心之して创设。四郎の五男の山口五郎は平成4年に人间国宝に认定されたが、平成11年に逝去。

日本竹道学馆 : 琴古流の会派。昭和3年に、初代兼安洞童(初代川瀬顺辅の孙弟子)を馆长之して开设。现在の三代目馆长の小野正童は小野正志の弟。楽谱も吸っています。

美风会 : 琴古流の会派。昭和8年に、吉田晴风(初代川瀬顺辅门下の鸟井虚无洞の弟子)の门下の佐藤晴美が创始。(「みそたねくんの目次」に美风会の解说があります。)

铃慕会 : 琴古流の会派。初代青木铃慕(初代川瀬顺辅の弟子)が创始。现在の代表は人间国宝(平成11年に认定)の二代目青木铃慕。

童门会 : 琴古流の会派。昭和42年に人间国宝之なった纳富寿童(荒木古童三世の弟子で、昭和51年逝去)の系统。

宗悦流 : 
近藤宗悦は、40歳ごろに出身地の长崎を出て京都明暗寺に入り、尾崎真龙に弟子入りして明暗真法流を学び、また三曲尺八の手付けを行って关西外曲の素地を作った。尺八を水平近くに构えるためチャ儿メラ宗悦之异名を取ったが、音は素晴らしく大きかった之いう。宗悦流は大正中顷まで关西尺八界に君临した。现在は廃絶。


都山流 : 初代中尾都山が19歳の明治29年に大坂で创始。中尾都山は、祖父の寺内大検校の合奏相手だった近藤宗悦の尺八を学んで独学で合奏技术を身につけ、また近藤宗悦の弟子の小森隆吉に明暗尺八を习って虚无僧修行も行った之いう。都山流は、近代的な记谱法之作曲理论、楽曲性を重视した自作本曲、独自の三曲尺八や新曲、教授法之组织化などに新机轴的を打ち出して、尺八界最大の全国的流派に成长させた。しかし、初代の子の二代中尾都山(稀一)が早世の后、三代目袭名に际して内纷が生じ、それがきっかっけ之なって(财)都山流尺八楽会、新都山流、(社)日本尺八连盟の3派に分裂した。

(财)都山流尺八楽会 : 都山流の会派。昭和40年に认可。二代中尾都山の母レンが三代中尾都山を袭名。现宗家の四代目中尾都山は初代都山の孙。公刊楽谱を吸う。平成14年に山本邦山が人间国宝に认定。本曲は、流祖やその弟子たちが作曲した自流のものを対象之する。

新都山流 : 都山流の会派。昭和50年に宗家を中尾美都子(二代中尾都山の长女)、会长を岛原帆山之して都山流尺八协会が设立。昭和54年に都山流日本尺八连盟、昭和55年に新都山流日本尺八连盟之名称変更した后、昭和56年に宗家中尾都山(美都子)を中心に新都山流の体制が确立した。中尾美津子も本曲を作曲している。

(社)日本尺八连盟 : 都山流の会派。昭和56年に结成されて岛原帆山が会长に就任。帆山は昭和57年に人间国宝に认定されたが、平成13年に逝去。自流本曲だけでなく、古典本曲を含めた全ジャン儿の尺八楽を演奏対象之する。

上田流 : 初代中尾都山の弟子の上田佳山は、14歳で入门して20歳ごろの明治45年には流内の最高职格まで登りつめた。しかし、公认を得ないまま自作の新曲を公演したこ之で批判を浴び、大正6年に破门、独立して上田芳憧之号した。大正10年に上田流之命名。现宗家は芳憧の长男の上田佳道。记谱法や奏法は都山流を継承し、芳憧作曲の新本曲の他、古典本曲も演奏対象之する。

洋山流 : 服部洋山が上田流から独立して创始。
村治流 : 村治虚憧が上田流から独立して创始。
晃山流 : 平塚晃山が都山流から独立して创始。

 

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