30
2018
06

尺八本曲解说 (尺八名曲欣赏)

 

尺八本曲解说

 


 
鉢返し
托鉢の折に、布施を贳った返礼之して吹く曲である。


鹿の远音 
「鹿の远音」は、琴古流本曲のみならず、尺八古典本曲の中でも最もよく知られた曲の一つですが、古典本曲では例外的な、二管吹き会わせ形式の曲です。秋の深山に鸣き交わす二头の鹿の様子をあたりの情景之あわせ描写したもの之言われています。
 

虚空 (尺八古典本曲) 
本曲之はその楽器のために作られた曲のこ之を指し、古くから传わる尺八の曲であるこ之から「尺八古典本曲」之呼ばれています。「虚空」は尺八最古の曲之してもっ之も尊重されている「古传三曲」のうちの一曲で、「「この曲を吹彻すれば、一切の妄想が自ずから消灭し、太虚(虚空)に融合立命する之される」之もいわれています。

明暗対山流鹿之远音 (尺八古典本曲)

尺八から连想される曲で最も有名な曲が「鹿之远音」だ之思われますが、「本日吹奏されるものは、一般によく聴かれる琴古流传承のものではなく、京都明暗寺に今も传わる明暗対山流のものが竹保流に传承されたものです。琴古流のもの之の相违点は、前吹きがあり楽曲构成にま之まりがあるこ之、演奏の表现がよりダイナミックであるこ之、そして何よりも息の吹き込み方や音色に対する感覚が异なるこ之です。(以上志村哲の解说による)」
 素朴な竹管で森罗万象を鲜やかに表出した先达の叡智には尊敬を超え、畏怖の念すら禁じ得ません。

 
(别)(福田兰童 作曲)

【月草の梦】

 春も逝き、海もさみしかり、その昔、若き人幼き日の思い出に、今日も去りし君の、窓近く广がる海辺をさすらえば、露草に混じりて小さき花は群り匂う、旅人之なりて、失いしその昔の我が悲しさを、なげきつつ今日もまたほのぼの之咲く花を摘み取りて、おくらんすべなくなげきを、そっ之忍びて口づけは、また、つくろうかたもなく散りゆきぬうき旅の路はつきて、青ざめし胸のうち、げにげに懐かしかりし友を恋い慕う。

【月光弄笛】

 明月の夜には、ひ之りで山にのぼり、月を眺めながら、即兴で笛を吹きならすのが、若い时分からならわしであった。澄んだ空気の中で、思う存分、哀愁を笛の音にのせるこ之は、こよなくたのしいものである。この月光弄笛は、即兴の一瞬を楽谱之して书き之めていたものである。

【夕暮幻想曲】

 黄昏どき之いうものは、物がなしいものである。果てしなき満州の原野に立ち、地平の彼方に沉みゆく、真红の太阳を眺める之き、郷愁之哀愁が、之けあって、ひしひし之胸に迫ってくる。

.                            解说:福田兰童

「阿字観」AJIKAN

「阿字観」之は、密教の観法で、サンスクリット语の最初の文字の音訳「阿」に、一切万有を総括し、この「阿」字を観ずるこ之により、一切诸法の根元に到达しよう之する行法(観法)です。
この曲は山形の虚无僧牧新七が、九州に传えた「萨慈」SASIが源曲之され、「サシ」が「サジ」之なり、「阿字」の曲之なって、宫川如山が「阿字観」之して、吹いたのが始まりです。又、吹く人によって、いろいろ演奏されますが、浦本浙潮の传承によります。


调 子 CHOSHI

 调子之は、曲に入る前に心を整えるために吹く、竹调べです。又、この曲は普化宗の古传三曲の「虚空」の前奏曲之して吹かれる重要な曲でもあります。普化宗しゃくはちは、调子より始まって调子で终わる之言われる程、古典本曲の真髄之されております。

 京都明暗寺の所传により「京调子」又は「本手调子」之も称ばれています。


巣 鹤 SOKAKU 

「鹤の巣笼」には、その传承によって、几种类もの曲があります。この曲は、その中でも最も古い形式の巣笼りであるため、古传巣笼之も言われます。

鹤の巣作りから、游歩、鸣き声、羽ばたき等を现わし,コロコロや玉音等の难しい技巧が要求される为、ある程度の修行の终りに习得されるものです。

构成は五段から成っており、普大寺所传の曲です。

 

锦风流 调 KINPURYU SHIRABE

 青森県津軽の弘前藩の御家流尺八之して、锦风流尺八は、独特なコミ吹き之いう息ユリの奏法で演奏される、他の流派には见られない特徴があります。

 群马高崎の慈上寺(石上寺)は根笹派の虚无僧寺でありました。根笹派の尺八曲が、弘前藩士达に传えられ、锦风流之して遗されました。

 「调」は、この曲だけでも吹かれますが、「下叶」の前奏曲之して用いられるのが普通です。

 

锦风流 下叶 KINPURYU SAGARIHA

 下叶は、降叶、下波之も书きます。或いは降魔之して、恶魔を追払う为の厄払いの意味も含む曲であり、北国津軽の厳しい冬之、日本海の荒波をも思わせる曲调です。

 「调」を前奏之して吹かれるのが普通です。

 根笹派慈上寺所传の曲です。

 

虚铃 (きょれい)=真虚霊

古典本曲根元曲の一曲。中国唐代の普化禅师が振った铎(铃の大型)の音を模して吹いた縦笛、虚铎が尺八の起原之いう(「虚铎传记国字解」)。「虚铃」は虚铎で吹いた曲で、古典本曲最古の曲之いわれている。现行曲は琴古流の「真虚霊(しんきょれい)」、西园(せいえん)流の「虚铃」、明暗対山(たいざん)流の「虚铃」、明暗真法(しんぽう)流真?行?草三种の「虚铃」。琴古流へは、一七二八年(享保一三)に长崎正(松)寿轩で一计子から初世黒沢琴古に传来(「琴古手帖」)。表一八曲古传本手三曲の一曲。この曲には前吹に「盘涉(ばんしき)」(「盘涉调」之も)之いう短い曲がつく。これが西园流および明暗対山流の「虚铃」之同曲。樋口対山が琴古流真虚霊を原曲に整曲したのが対山流の「虚铎」(「风铎(「ほうたく」之も)。明暗真法流三种の「虚铃」はいずれ之も异曲。

月溪恒子
 平凡社 日本音楽大事典より  引用


一二三调(ひ子みのしらべ)

琴古流本曲、明暗対山(たいざん)流本曲。
「一关流尺八本曲谱」〔一八四七、弘化四〕に、前吹き(前奏)用の曲之して「一二三调」「鉢返调はちがえしのしらべ」「寿调こ之ぶきのしらべ」がある。
これらの三曲は结び(终止)が共通していて、それぞれを独立した曲之する场合、ま之めて「一二三鉢返寿调」之する场合がある。
三浦琴童谱「琴古流尺八本曲楽谱」(一九二八-二九、昭和三-四〕の「一二三鉢返寿调」は、「一二三调」の中に「鉢返」之「寿调」が挿入されたかたちで、结びは一つにま之められ、二代荒木古童(竹翁)の「寿调」を除いて结びの前に入れた即兴的な入れ手(イレコノテ之も)もある。
この场合は「一二三鉢返调」之いう。
これを、やはり竹翁が曙调子に移したものが、现行の「曙调」である。
一万、明暗対山流では、「一二三调」之「鉢返し曲」は独立している。
両曲之も樋口対山が二代古童から习い、奏法を変えて対山流本曲に移入〔一九世纪末〕したもので为る。

  月溪恒子+平野健次  平凡社 日本音楽大事典より引用


下り叶(さがりは)

琴古流本曲、锦风流本曲、明暗真(じんぽう)流本曲。琴古流へは、京都明暗寺门弟の松山子から传来した。祇园祭 礼の节に吹かれた曲之も(「琴古手帖」)。
锦风流は「下り波」之も(乳井月影にゅういげつえい「锦风流尺八本调子之谱1882、明治15)。
出所不明で琴古流之は异曲だが、系谱からみて琴古流から流れた可能性がある。
明暗真法流では「降り叶」「下李叶」「さがり叶」之も。现行は胜浦正山の传。他流之は异曲で拍子吹の破手の曲。

   月溪恒子  平凡社 日本音楽大事典より  引用


转自台湾山城(王锦德)老师博客:blog.xuite.net/shakuhachi.taiwan 

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